作曲家・音環境デザイナー 福田基
『天守物語』で演出をつとめる演出家・桂佑輔が、ゆかりのあるクリエイターの方々とお届けするスペシャル対談。第1弾は「天守物語」で音楽を担っていただく作曲家・音環境デザイナーの福田基さんをお迎えしてお届けします。
©️ Naoya Yabuki
●福田基(フクダハジメ)プロフィール
ベルリンに拠点を持つ作曲家、音環境デザイナー。世界を渡り歩いて磨かれた旋律を奏でるピアニスト。音を駆使した空間演出を得意としコンセプトに寄り添ったその場でしか味わえない音楽体験を追求する。ライブでは自身の楽器音や環境音を抽出して再構築するプログラミングと即興演奏を掛け合わせた先鋭的なパフォーマンスを得意とする。六本木ヒルズ、星野リゾートのサウンドデザイン、神奈川芸術劇場KAATにてオルガンワークス「漂幻する駝鳥」の作曲、演奏を担当。ライジングさんロックフェスティバル出演。2023年トランペット奏者日野皓正と共演、アルバムを制作する。2024年イスラエル、ベルギーで海外のコンテンポラリーダンスカンパニーとのクリエイションを行う。
どこを切り取っても色気がある
PRAY▶︎ の舞台は桂佑輔の生き写し
桂 今回の『天守物語』で音楽を担っていただきます、福田基(ふくだ・はじめ)さんにお話を伺います。
PRAY▶︎の前作『歌行燈』に続き2回目ですね、ご一緒するのは。まずは、PRAY▶︎の作品について、どんな印象をお持ちか伺ってもいいですか?
福田 ありがとうございます(笑)
前作から参加させていただいて、PRAY▶︎の作品を何度も観てきて思うのは、「どこを切り取ってもすごく色気がある。」その空気感が桂さんの生き写しのようにも感じますね。
桂 おお、それは嬉しい……!照れて戸惑ってしまいました。
福田 乱暴な言い方かもしれませんが、舞台作品は演出家の生き写しだと思うのです。だから桂さんの稽古中の発言や提案に色気が乗っているということなのでしょうね。皆がそれを受けて「なるほど」と演じたり、「ちょっとわからないかもしれない、だけど言う事を聞いてみよう」と稽古が進む。瞬間の判断や迷いの集合体が作品の色気の正体なんじゃないかと思いました。
それは、宏次さん(フィジカルアクト/三枝宏次さん)とも話していました。自分らしさを持ちながら振り付けや音楽を提案するのですが結果としていい意味で「桂さんの空気」になってしまうのです。それは自分の新しい在り方でもあるなと思うし、演出家との面白い関係性ですよね。
観終えたあとの日常にたずさえられる
記憶に残り続ける作品になると思う
桂 それでは、今作『天守物語』について聞かせてください。現時点での印象や、音楽の構想などをぜひ。
福田 今作『天守物語』のプランは、実際のストーリーを展開する前段階として現在の池袋があると桂さんから伺いました。
振付師アレクサンダー・エクマンの『白鳥の湖』を思い出しました。1幕目はチャイコフスキーとオペラ座のディレクターとの「何かいいネタないのか?」的なコメディーから始まり、チャイコフスキーはクビになる。クビになってイラついて白鳥を打ち落として…それから実際の白鳥の湖が2幕目として始まります。
前段階としての「1幕」があるからこそ本編の桂さんの演出が必然となる天守物語なのだと。皆がその感覚を日常の中でたずさえることのできる作品になる。きっと記憶に長く残り続ける作品になるだろうと期待しています。
その上で音楽家としての自分は、スタンダードな和楽器の地盤があるからこそ活きる現代音楽をやりたいなと思いました。それは和楽器の脇役になるわけでも前衛的なBGMにしたいわけでもなく、和楽器が作品にあたえる影響の大きさを理解した上で、今ある最先端のツールを使った音楽を舞台に響かせてみたい。
それは和楽器を今の技術で食ってやろうということではなくて、脈々と続いてきた和楽器の伝統や作法、存在感、それらをクローズアップした上での新しい音の響かせ方、現代音楽から和楽器への戻り方、ひいては日常への戻り方、日常から非日常への移行。和楽器と混然一体になった音楽をデザインしたいと考えています。
物語によりそう和楽器が
味わい深い脚本のコントラストを描く
桂 和楽器はあきらかに西洋楽器と異なる特徴がありますよね。響きで聞かせているから絶対的な音階は重視しないとか、ある程度それぞれの中での高音中音低音三つでいいとか。和楽器奏者の方はそれを『勘所』と言ったりされますよね。邦楽ならではのワードだなと思います。
福田 そうですね。
桂 決まったものがないというのは、すごく難しいですよね。でもふんわりと全体にくくりはある。それってなんなのでしょうか?
福田 これは完全に僕の考えですが、その人なりの脚本・ストーリーへの理解が優先されるのだと思います。ストーリーに対してのアプローチは決まっているのですが西洋のテンポという絶対的な時間軸や五線譜の存在に比べると個人の判断やセンスで音楽を生み出している。
桂 なるほど。
福田 雅楽を客席から見ている時に感じるのは時間軸のねじれや間合いです。演者同士がテンポの揺らぎを許している。楽しんでいる。そのねじれを読み取る力があると思うのです。でもそれは原作を知らないと読みとれないじゃないですか。物語の骨組みは絶対に変わらないもので、そこに個人が「ここだ」というポイントになる音を打ち込んで前進させていくのだと僕は思います。
桂 なるほど……。
福田 自分で指示させていただく時は「仮に事前の指示と異なっていたとしても、個人的なここ!という点に遠慮なく打ち込んでください」と伝えます。それはアドリブとも異なるもので、「勘所」によって生まれる「絶対的な一音」が欲しいからです。
桂 「絶対」を意味するものが、西洋と日本で違うということですね。
福田 もっとストーリーに寄せたものなのでしょうね。例えば「5分後にフォルテにいきます、それに合わせて照明さんは太陽をあげてください!」というのが西洋の作り方ですが、日本の作り方というのは「太陽があがってきたら、その出具合にあわせて音楽の皆様よろしく頼みますね」という。
桂 それぞれでいいと。
福田 そう!太陽が出るという「絶対」に勘所を添えたい。
桂 なるほどなぁ。
福田 和楽器の世界では読解力に重きを置いていると思います。登場人物のセリフ、脚本から読み取った先の感情を音に置き換えてストーリーの味わい深さを担っている。
大事な「骨」をあえて抜く
セリフのように届く音楽の妙
桂 あらかじめ曲を作らないといけない場合、合わせるのがすごく難しくないですか?
福田 やってはいけないことがいくつかありますね。頑丈に作りすぎること、きっかけになることを避けます。僕はPRAY▶の前作『歌行燈』の時にそれを掴みました。
桂 へー、面白いですね!
福田 ここで再生すると音楽がキッカケになりすぎるとか、気持ちよすぎるとか。そこから、一個骨を抜いたら急にコントロール力をいい意味で失うというか……。サッカーの司令塔がいなくなるみたいな(笑)。 僕は司令塔不在にする作業を、稽古を見ながらさせて貰っています。
桂 それハチャメチャに面白いですね!司令塔を抜いていく。物理法則で創られているはずの西洋音楽から、物理法則を抜いていくわけだ。なんてこった。
福田 そうそう!それが桂さんには他では得られない感覚として、凄くヒットしてくれたのだと思います。僕もそれが心地よかった。
桂 やばい作業ですね。
福田 稽古場でやばい作業しています。しっかり地に足のついていた音楽を弱らせていく。
桂 僕が最初に福田さんの曲を聞いて面白いなと思ったのは、音楽が喋っているんですよね。音楽がまるで登場人物の台詞のように聞こえた。僕は優れた照明とかからも台詞を感じます。
福田 あー、わかります。
桂 音楽も台詞だし、照明も台詞だし、俳優が出てくるという事も台詞なんですよね。そこから発せられる俳優の台詞も、もちろん台詞。だから掛け合いになるんですよ。福田さんの音楽にそれをすごく感じて、この人しかいないと思いました。
福田 嬉しいですね。
見えてないからゼロではない
見えないけど伝わるところを探る
桂 前回の『歌行燈』は、台本の中に世話場ってシーンがあって、多少乱暴ですが西洋的な言い方でいうと韻文でできているところと散文で出来ているところがかなり分かれているんです。ですが、今回の『天守物語』は詩的に書かれているところがすごく多くて。
福田 美しい台詞回しですし、決め台詞が多いですよね。
桂 多いです。台詞が凄く音楽的しかも和の音になっているがゆえに、なにをどう合わせるかがすごく難しい所だと思うのですが…
福田 やっぱり伝わり方ですよね。舞台空間の中で大事なセリフが音楽を纏うことでどう伝わるか。そこは微調整を繰り返すことが必要かなと。
桂 僕、音楽を創る人の脳に凄く興味があって。リズムやメロディー、他にも色んな要素があると思うのですけど、着眼点的にはどういう発想をするのですか?
福田 着眼点としては、リズムでもないし、メロディでもなくて。どっちかというと音像の「積み」みたいなところです。
桂 積み?
福田 そう、縦に音を積むイメージ。様々なディティールや長さをコラージュして重ねて異様な音の塊を作る。それはキャッチーなメロディーやノリの良いリズムでは無い。
例えば、水の中で何か演技が行われていたとして、水面の上からカメラを撮っても何をやっているかわからない。けど、何かがあるし、伝わってくるものってあるじゃないですか?
桂 あー、はいはい。
福田 見えてないからゼロとは判断しないじゃないですか、人って。その見えてないけど伝わる存在感や不安めいたものを喚起する音。
桂 なるほど、面白い。
福田 気付かれなかったら、それでいいやくらいに思っています。舞台で複数の人がストーリーと直接関係無いことをする技法に近いですね。自分の中での舞台に対してのアプローチというか……一人の背景的な演者になっていますね。
だからピアノ演奏する時も自分が弾いているからといってピアノを目立たせなくていい。勝手に空気感作っていますというスタンスで、それが舞台では丁度良い時があります。
「勘所」という言葉に戻るのですけど。どこの舞台、どこの世界でも、結局演出家が「それ!」っていう所を掴まないと、どれだけ提案が良くても作品に貢献出来ないと思っています。だから今回も桂さんが僕の音楽のセンスを気に入ってくださった所が始まりで、せっかく前作に引き続きお声かけいただいたので「『歌行燈』も良かったけど今回もいいね」って内外から思われたい。欲張りながら創作していきます(笑)
その場所、その街でしか完成しない
東京芸術劇場の100点を目指す
福田 前作の『歌行燈』はビジュアルを見たときに「あ、ストライクを投げていない作品だな」と思ったのです。で、今回の『天守物語』は「ストライクですよ」と宣言することも大事な作品なんじゃないかなと思いました。
桂 あぁ、そうですね。天才達が作品を磨き上げてきた歴史があるのですから、それを無視するのは、僕が2024年に原始時代から文明を始めるようなものだと思っています。作品の根幹や魂もほぼ研究しつくされていて、それ自体が大きく変わるはずありませんから、特に多くのお客様に楽しんでいただきたいのなら、その「ストライク」は必ず狙わないといけないなと。
福田 その上で……勝手な僕のイメージなのですが池袋の東京芸術劇場って、ストライクでありながらもさらに欲張りたくなる立地でもある。
桂 わかります。
福田 シアタートラムの100点と、下北の100点とは……
桂 違うと思います。新橋演舞場の100点も絶対違う。
福田 絶対違いますよね(笑)
桂 その劇場とその街にそぐうものが必ずありますよね。文脈があるじゃないですか。
福田 うんうん。ある場所で成功したとしても、その方法論を違う場所でそのままやっちゃダメっていうことはありますか?
桂 あると思います。文脈が変われば、意味も印象も変わると思います。
福田 そういう意味でも東京芸術劇場だからこその100点を出したいなと思っています。そこは外したくない。そのために綿密に話したいし、小屋入りしてからが勝負。僅かな塩加減と大胆な判断の両方が求められますね。
桂 本当に繊細に各セクション協力し合いながら匙加減を調整して組み上げていく創作になると思います。厳しい山をいくつも越えないといけないと思いますが、その先を信じて一緒に作っていければと思っております。宜しくお願いします。
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